2011年12月31日土曜日

島根土砂災害

  20107月に島根土砂災害は、庄原土砂災害とほぼ同じ時期に起った。誘引は台風の通過に伴う集中豪雨である。日本海に面する漁村背後の崖が崩壊した。崖にはコンクリートの急傾斜対策工が施工済みであったが、その上方斜面の崩壊である。風化岩のなかに残った玉石が風化土砂と一緒に崩落した。コンクリートの対策工があると、ひとまず安心してもよいが、斜面の異常はいつも気にかけないといけないのだろう。

2011年12月23日金曜日

庄原土砂災害

  20107月に庄原土砂災害がおこった。相当量の雨がやはり局地的にふった。遠くで見ていた人が、その地域が雨雲に覆われその下が白く曇ったままであったといっていた。亡くなられた方は1名であった。やはり谷の出口の家屋である。山全体に表層崩壊が認められ、それを引き金に土石流が走っていた。地質的には興味ある崩壊形態をとっていて、少し検討してみたい。ただ、地域全体は土砂に覆われる格好になっており、高齢化の進む集落の再建は容易ではない。これを機に土地を離れる人もいるかもしれない。
 災害に強い町づくりも若い人材がいないと難しいのかも知れない。

2011年12月21日水曜日

東濃豪雨災害

 大きなトラックがらくらくと流された。20107月に発生した東濃豪雨災害のことである。水の力のすごさを感じた。ここでも、限定した地域だけが被災していた。雨の降り方が偏ってきているように思う。表層崩壊が多く、それらが土石流となり谷の出口の家屋を襲った。土石流の起こったのは夕飯時期であった。1軒のお家は、3人が亡くなり、外出中の1名だけが助かった。母屋の隣に新築した家屋である。母屋は助かったが、新築の家は谷の出口に建てたので被災した。昔からの土地の選択は災害さける知恵もあるのだろう。
 少し離れているが、もう1軒のお家は、やはり、谷の出口にあった。後ろの谷からにごった水が出てきて、木の折れる音などが聞こえたので、奥さんが避難した。だんなさんは、少し遅れて避難した。その1時間後に家は土砂に流された。災害の前兆現象をとらえて判断良く避難することの重要性を示している。

2011年12月19日月曜日

山口土砂災害

 地震災害が続いたが、豪雨土砂災害も牙を抜いた。20097月に山口土砂災害が起こった。防府市を中心とする限られた地域だ。風化花崗岩の表層崩壊が多いが、中規模の崩壊もありいずれも土石流に移化している。老人ホームの被災地はそれを象徴していた。谷の出口は土石流の危険がある。新しく建てられる建物はどうしても危険な空き地に来てしまう。昔から土地利用には知恵がある。常時と非常時の転換ができる訓練や教育が必要と感じた。ここでは、流域の砂防堰堤が多くの流出土砂を受け止めていて、溢れた土砂による災害が目立った。ハード対策は効果がある。しかし、すべてそれに頼るのは危険である。減災のソフト対応も大事である。

2011年12月17日土曜日

フナ寿司

 実家からフナ寿司が送られてきた。発酵したにおいが嫌いな人もいるが、そんなに嫌いなにおいではない。味はブルーチーズのようで大変おいしい。熱燗のお酒のつまみにはもってこいである。フナだけ食べる人もいるが、私は、一緒についてくる発酵したお米も食べている。
 健康食品なので、皆さんも是非食してください。ただし、値段はステーキより高いで、くれぐれも腐っていると勘違いして捨てないでくださいよ。

2011年12月15日木曜日

雨の中を走る

 原稿書きに疲れて、久しぶりに鶴見川を走る。夕焼けが怖いように美しい。ちょうど富士山が見える方向から東京にかけて長い雨雲が見える。雨雲の下は激しい雨が降っているようで白く霞んでいる。でもかなり遠くである。ちょうど厚木あたりかもしれない。鶴見川の堤防を道行く人も休日の夕方をゆっくり動いている。この時間帯はなんとも言えず寂しげで好きだ。日もかなり暮れかかって来たとき、ポツリポツリと雨が降ってきた。大粒だ。すぐに土砂降りになる。後ろからの風に押されて足取りが速くなる。行きかう人もあちこち散って、もう誰もいない。鶴見川は白く波打ち、吐く息も白く、雨音だけがきこえる。稲妻と雷鳴も近づいてきた。
 これも人生か、足取りはさらに早まるが、家は遠い。

2011年12月13日火曜日

猫の手足

 ペットの猫がなくなった。
16歳なので、人間に直すと90歳くらいだろう。家の中でずっとすごしていたので、世間を知らない。我が家だけが自分の世界であった。少しとろいところがあって、コンチャンと呼ばれていた。悪さをすることはなく、人見知りもしない猫だった。
 最後になくなる前は、食欲も少なくなって、前足はしかっりしていたが、後足はよたよたとしていた。猫にも手足があると思った。
 動物は足に来たら終わりだなーと感じた。

2011年12月11日日曜日

岩手宮城内陸地震

 20086月に岩手宮城内陸地震が発生した。ここでは、大規模な地すべりや崩壊・土石流が起こり、多くの人が被災した。また、地震断層が出現し、田や宅地に変位を引き起こした。山間地の地震として多くの教訓を残した。
 2011年の東北地方太平洋沖地震の際もこの付近での震度が最も大きく、ゆれやすい地盤構成の地域である。特に、火山性堆積物での大規模地すべりが象徴的であった。その後、現地は何度か訪れたが、雪解け時期の栗駒山の景観はすばらしいものがある。自然の脅威と豊かさを同時に見たように感じた。

2011年12月9日金曜日

中越沖地震

 2007年7月に中越沖地震が起こった。中越地震、能登半島沖地震に続いて、中越沖地震が発生した。すぐに現地に向かう。ここでも、内陸部の被害は少なく、被災地は海岸沿いに集中していた。
 柏崎市、刈羽村の調査から始める。路面が正弦波のように波打った場所があった、地震波が化石として残った格好である。いろいろなものがあるものだ。ここでは地盤の液状化や側方流動も発生していた。3年前の中越地震で被災したお宅が自力で家を建て替えたが、そのとき谷埋め盛り土のすべりや液状化防止のために地盤排水工(暗渠工)を施工した。このお宅は、周りの家が被災したにもかかわらず被害がほとんどなかった。対策工が有効であることを身をもって示したものである。
 また、大規模宅地の谷埋め盛り土のすべり防止の法律が出来たが、その始めての適用例が今回行われた。対策は、先にしめした地盤排水工であった。、今後の成果を期待したい。

2011年12月7日水曜日

能登半島沖地震

 20073月に能登半島沖地震が起こった。すぐに現地に向かうが、被災地に近づくまで、ほとんどのんびりした山間地で被災の形跡がない。直下型地震の典型である。地震断層付近での被災は大きいが、その影響は遠くまで及ばない。
 地震断層の近くに来ると様相は一変し、民家の倒壊・崖崩れがどこにでも認められる。道路の通行もままならない。門前町には、私の住んでいる鶴見にある総持寺の本院がある。ここでも、大きな被害が出ていた。立派な寺院であるが、屋根が大きく重たい性もあって被害が出やすかったのであろう。
 門前町から輪島市にかけての海岸沿いの崖崩れは深刻で、歩いて調査した。直径5m以上のある大きな落石が道路をふさいでいる。海岸を見ると過去の地震で落ちた巨石が多い。過去にも何回も地震を受けてきた地域であろう。輪島市周辺の海岸沿いの斜面崩壊も多いし、古い家屋の倒壊も多い。かなりの震度があったことがわかる。特に、積雪に耐えるように屋根を強化している古い民家の倒壊が多い。
 山崩れによって発生した土石流の土砂が治山ダムによってうまく捕捉され、直下の人家が助かった場所も調査した。この土石流の流下速度は、かなり遅かったようである。研究の課題になる。
 鶴見に帰ると、緑の大きな屋根の総持寺がそびえていた。

2011年12月2日金曜日

岩魚を手づかみ

 最近、クマの出そうな山の地質踏査を行った。沢を歩いていると、澄み切った川底を魚影が走る。これは岩魚だなと思い、ゆっくり追いかけ岩陰に入ったところを確認した。ゆっくり踏査道具を下ろして、岩陰に両手を押し込んだ、魚の感触が手に伝わる。ぎゅっと握りしめて捕まえることができた。大きさはなんと20cmのまあ大物である。その日は踏査が続くので、すぐに写真を撮影し、リリースしてやった。水の中に離した岩魚は、さっと逃げるかと思ったが、一度こちらに寄って来て、ありがとうと挨拶をし、川中の落ち葉の中に入っていった。
 さて、10分間の休憩であった。地質踏査を再開するが、岩魚を捕まえる際に長靴に入った水は如何しよう。一日寒い中の踏査が続く。