2011年11月30日水曜日

山の道

  自然災害時には、山の道が大切である。中越地震の際、災害調査中に地元の方にあった際、川沿いの主要な道路の大半は崩壊や冠水で通行不能となり、みんな歩いて昔からある山の道を利用していた。明治の十津川災害でもそのようなことが記載されている。
 今年の紀伊半島の豪雨災害で、十津川村長さんの意見では、主要道路の山道のトンネルは村内で一番安全な避難地になったということである。また、東日本大震災のような津波にも山の道は強い。
 土砂災害の多い我が国では、山の道を残さないといけないと思う。

2011年11月28日月曜日

中越地震

 200410月に中越地震が起こった。自然災害が続く。すぐに、現地を訪れた。現地は右往左往する人々でいっぱいで、統制がとれていない。どこで何が起こっているのか、どこが通れるのかわかる人もいない。取りあえず、勘を頼りに現場を突き進む。そのうち、崖崩れが多くなり、車の通行が出来なくなる。
 仕方がない。後は歩いていくだけである。芋川に入ると、山全体が何か変である。鉛直に立つものが少ないからだ。一般に家でも電柱でも標識でも木でも、鉛直を基本にしてたっている。それらがことごとく傾いているのである。めまいがするようだ。
 川を下ると湖になり、川がない。何のことかわからない。大規模地すべりと堰止湖の出現である。川のかなり高い対岸を歩くと川魚のオイカワが土砂上に乗っかっている。大規模地すべりが堰止湖を作るとき、川の中の魚の持ち上げたのだろう。大規模な堰止湖を見るのは初めてだ。地すべりも大きく、木が立ったまますべり、斜面とは反対の方向に傾いている。今まで研究していた表層崩壊も多い。
 中越地震の調査はそれから3年間6回も現地に足を運んだ。長い付き合いになった。この間いろいろな経験をさせてもらった。災害に強い地域づくりのヒントも多い。

2011年11月26日土曜日

水俣豪雨災害

 水俣地方は、豪雨災害が多い。過去におきな災害があり、その復旧が終わったばかりである。この時には、安山岩からなる大きな崩壊が土石流を引き起こした。幸い下に砂防堰堤があり、被害を少なくしていた。
 200410月、今回は少し離れたその北方の沢の災害であった。湿舌といわれる雨の通り道が続いたところである。地質は前と同じ安山岩がキャップロックで分布する斜面で大きな崩壊が発生した。この崩壊をきっかけとして大規模な土石流が発生した。多くの方が土砂に埋まった。実際被災した方は、以外にも沢の高台の方である。沢沿いの低地の方は夜間に避難し、家はなくなったが無事であった。沢より10mも高いところに住んでいた方の避難が遅れたのだろう。
 通常の土石流の規模なら大丈夫な箇所で、想定を越える大規模な崩壊が起こったことになる。災害のハザードマップを作るのは出来るが、実際にそれを活用して逃げるのは難しい。

2011年11月24日木曜日

想定外

 想定外ということがよく言われる。自然現象の壮大さとも取れるし、責任逃れにも取れる。想定外って何だろう。
 自然科学をやっていると、自然の大きさや未だわからないところが見える。つまり、人間の限界や自分の想定を超えることがおこるだろうといつも思っているのである。しかし、工学では、人間に必要な施設などを設計する必要がある。ここで、想定が入らざるを得ない。部材の強度はある程度予想できても、自然の外力は設定しにくい。それをえいやーと決めたとして。それが一人歩きする。いつも自然の外力はえいやーと決めたものだという理解がないと想定外の問題に落ちる。いろいろな施設の設計が、そのように決まっているので、設計者だけでなく、国民みんなが、施設の安全性をそのような想定内で作られるものだと考えていく時期に来ていると思う。
 自然に絶対や100パーセントの安全はない。当たり前のことである。そして100パーセントのものは、人間はいつか死ぬということである。

2011年11月22日火曜日

三宅島噴火

  2000年8月には、今度は三宅島が噴火した。その前から、神津島や新島で群発地震があり、その調査をやっていた。地震が続く中、島の中の調査は自転車に乗っておこなった。朝出かけた道が、帰り地震による崩壊でまったく埋まっていたのにはびっくりした。でも、自転車なので安心。自転車を担いで土砂をの上を越えて宿にかえれた。車なら、車を捨てるしかない。そういえば、崩壊した崖の調査中にも地震があり、落石等があったなー。もう慣れたけれど。神津島の道路ハザードマップを論文に掲載したが、実際に現場に行くと予想通りの災害が起こっており、不謹慎ながら少しうれしくなった。
 三宅島の噴火はその後におこったもので、群発地震と火山噴火は関連しているようだ。この噴火では、細粒の火山灰が降り、わずか時間4mmの降雨で土石流が出る有様であった。小規模ながら火砕流も発生し、全島避難となった。なんといっても火山ガスが収まらないのが復旧を遅らせた災害であった。湿った火山灰も問題で,多くの樹林も被害をうけた。
 今回の噴火は、今までにない噴火の形態で、小規模ながらカルデラを作った噴火を予想できた科学者はすくない。自然を想定することは難しい。

2011年11月21日月曜日

有珠山噴火

 20003月末に有珠山噴火が噴火した。年度末で、みんな忙しい。コンサル仲間や大学・国の研究者、ゼネコンの技術者に声をかけ、4人が集まったので翌日には現地に飛んだ。何が起こっているのか、どこまで入ったら危険か。有力な情報がない。現地の関係機関や対策本部に向かい。情報を集めた。対策本部には、よく知った火山学者が詰めていて多くの情報をくれた。可能な範囲の現地調査を実施した。
 このとき、災害地にはいってしまうと、情報は錯そうし、なかなか情報が集まらないことも感じた。ネットによる情報がこの災害を契機に大きく進化したように思う。災害地の真っ只中にいるより、ネットをみている遠隔の住民のほうが情報量が多いのである。正確で有用な情報かは別にして、そのような状況は、近年益々顕著になってきているように思う。火山噴火災害は、他の自然災害に比べ、どのように展開するか、いつ収束するか予想することは難しい。噴火調査も何度の現地に行くことになった。また、調査時に火山灰が降ってきたこともあった。危険の多い調査になることを肝に命じないといけない。

2011年11月19日土曜日

阪神淡路大震災

 1991年に起こった阪神淡路大震災についても語らないといけないだろう。当日、川崎にいて地震を感じたが、朝早くから打ち合わせがあり、茨城に向かっていた。地震情報はなかなか入ってこない。どうやら関西地方がやられたらしい。昼には全貌がわかってきて、大変な大地震のようである。すぐには現場にいけなかったが、現地を1ヶ月くらい見ることができた。神戸の周辺は、車での移動はできるが、街中はうまく移動できない自転車や単車が役に立つことがわかった。宿泊箇所の確保や食料の確保も難しい。東日本大震災でも同じような経験をしたが、大震災の時の調査はむつかしい。
 都市圏の直下型地震の被害の甚大さを痛感した。経験になった。

2011年11月17日木曜日

飛騨川豪雨災害

 1988年9月には、台風の豪雨で、岐阜県の飛騨川沿いで斜面崩壊と土石流が多発した。この地域は、たびたび豪雨災害が繰り返されているところで、以前に土石流によってバス転落事故があった箇所である。道路の点検をやっていたところであって、すぐの調査に出かけた。崩壊は表層崩壊が多いのであるが、渓流の土砂がほとんど抜け出して土石流になっていた。渓流土砂が流出しやすい地質のようである。
 それとは別に、崩壊にも特徴があった。植生にとって崩壊しやすいところがありそうだ。広葉樹より植林地で表層崩壊が多く、特に、植生管理の出来ていないもやし林での崩壊が多いことがわかってきた。植生と表層崩壊の関係を研究しようと考えるきっかけになった現場である。論文も掲載し勉強になった案件であった。
 スギ植林での崩壊があるなか、モミの木が1本崩壊を免れていた。小説ではないが、モミの木は残ったである。

2011年11月11日金曜日

白河土砂災害

  白河土砂災害は、19888月に起こった。福島県白河地方と栃木県那須地方で大きな被害が出た。老人ホーム太陽の国では逃げ遅れた方が帰らぬ人となった。すぐに現場に駆けつけ広域に調査した。今まで見たことがない表層崩壊がたくさん確認できた。木が立ったままで斜面を橇に乗ったように滑り落ちている。かなりの速さである。この現象をきっかけに根系層崩壊という論文をかいた。つまり、木の根が表土の下の地盤まで入らないような特殊な地質が原因だ。専門用語では低溶結火砕流堆積物である。このような木の根の減災効果が発揮できない特殊な地質は他にもあることがあとでわかってくる。
 大変勉強になった現場であった。

2011年11月9日水曜日

災害のたびに現場に

 1991年に環境地質を作って、災害があるたびに現場に出かけるようにしたコンセプトは、環境地質技術は現場にあるという強い意志にある。会社を作った1991年には雲仙普賢岳が噴火し、多くの被害を出した。火砕流という言葉も一般化したほどいろいろな報道が続いた。
 噴火から、20年ほどが経ち忘れられがちであるが、10年や20年の節目ごとには現地を訪れ講演などをやらせていただいている。当時の災害の大変さや防災の工夫を忘れないようにしないといけないと思う。1991年から2011年までの間に、災害直後に調査した現場は、火山噴火で雲仙をはじめ4火山、地震災害では阪神淡路大震災をはじめ10地震、豪雨災害では白河土砂災害はじめ10災害となった。最近20年間に起こった我が国の主要な自然災害はすべて見てきた思う。私の大変な財産である。現場を見ると環境地質技術の新しい発想が生まれる。被災した方には申し訳ないが、それが私の恩返しと思うようにしている。これから現場調査は続けるが、世代交代も必要だろう。
 災害調査では、いろいろな優秀な方と一緒することが常である。彼らとの意見交換も重要な財産と思う。個人の努力は必要だが、技術士は1人だけでは成長しない。広い分野の人のネットワークの大切さがわかる。

2011年11月7日月曜日

鉄根打設工法

 学位論文から発展して、表層崩壊の防止になる鉄根打設工法を考案し、特許をとることにした。鉄根打設工法は、木の根では足りない要素を鉄の根に置き換えて表層崩壊を防ぐもので、木を切らなくてもよい。大変環境に優れた工法で、都市斜面だけでなく、山間地や森林斜面にもうってつけである。
 さて、対策の前に表土の厚さや強度を調べる必要がある。表土の調査方法は、土木研究所で開発された土層検査棒がよい。軽くて簡単で、しかも土層の強度が直接求められる。購入していろいろ試してみたところ、使えることがわかった。でも、値段が高い。いろいろな方がやるには、その半額でないとだめだろう。土木研究所と交渉し、特許使用による販売代理店契約をした上で、私の事務所のある川崎近くの町工場に同じものを半額で作れるような技術開発をして売り出している。今のところ順調に売れている。
 次は、自分で特許をとった表層崩壊の防止になる鉄根打設工法の売出しである。試作を首都圏のいろいろな斜面でやっているが、今のところ対策斜面での崩壊はない。崖には個性があるので、その場その場でいろいろな工夫は必要だが、大丈夫だろう。
 学位論文から、特許に発展して、斜面対策の工法まで考案できたのは技術士としてもすばらしいことだと思っている。あとは売れないといけないがーーー。

2011年11月5日土曜日

ポーランドの地すべり

 ポーランドでの国際会議と地質・地すべり巡検もあった。一番の印象は、タトラス山脈の2重山稜である。ロープウェーで山頂近くに着くと、周りは雲の中で真っ白である。稜線沿いにトレッキングしながら山を下る計画である。とにかく出発。途中から快晴に変わった。世界で始めて文献に載った2重山稜をみて感激し、何枚も写真を撮った。下りも氷河地形が随所にあり、距離は長かったが飽きないトレッキングであった。
 そのほか、いろいろな地すべりを見学した。都市内の河川沿いのすべり、田舎のゆっくりとしたすべり、山岳地の斜面崩壊と興味は尽きないが、日本と違って降水量の少ない地域のすべりは、何か勢いというかすべりの速さを感じさせない印象であった。そのほか、巨大な露天掘り炭鉱のすべりや岩塩鉱山内での会食、バルト海の海岸侵食をみたのもよい経験である。
 ドイツやロシアとの国境問題や、首都ワルシャワ・古都クラクフの都市文化も考えることが出来た。バルト海沿いなどで取れるアンバー(琥珀)はお土産に最適で、私は、琥珀のほかに岩塩のランプや木の彫刻品も買ってかえった。いつも、何でこんな土産?と家族に言われるが、このときは、喜んでもらった。
 技術士のよい勉強になっている。

2011年11月3日木曜日

ネパールに飛んで

 学位論文書く中で、ネパールでの調査を5年間程度飛び飛びに行った。道路斜面のハザードマップや世界遺産の斜面保全、地震防災の問題である。大学の研究に参加させていただく格好であり、その中で国際会議の発表や座長などもさせていただき大変勉強になった。ネパールでの友人も増えた。研究の最終年には学長からじきじきに感謝状をいただいた。ネパールは日本とよく似た地形・地質の山国で、日本の斜面防災技術は大変に参考になるはずである。もちろん高価なハードの対策技術は難しいが、植生を考慮した斜面安定技術は使えそうに思う。
 調査の合間に、世界遺産寺院の散策やエベレストを見るフライト、夜のロキシーで乾杯などもいいものだ

2011年11月1日火曜日

子供とサッカー

 そういえば、会社勤めの時には子供と遊べなかった分、独立してから、子供と多摩川河川敷に草サッカーをやりによく出かけたもちろん子供が小さいときである。ゴールは服や木の枝を2つづつ置いて作るだけ、ボールは小さいスポンジボール、小さい子供には安全だ、真っ暗になるまで走り回ってどろどろになって帰る。行き帰りはいつも自転車だ。子供が少し大きくなっても続けていた。ボールはフットサルの大きさになった。娘の友達の女子高生にも教えた。みんな元気だ。
 体育館でもフットサルをやった。娘や息子の仲間である。みんな良い人だ。最近、行く機会がめっきり減って、体がなまっているな。娘や息子も、最近働くようになって、いそがしそうで、あまりボールに触っていないようだ。近くの公園でドリブルでもしようかなー。