2011年9月28日水曜日

土石流とは

 土石流には、3つの起こり方があります。1つ目は沢のどこかで崩壊が発生してそれを引き金に発生します。2つ目は、沢の中の土砂が水で飽和し発生します。3つ目は、今話題になっている。沢の中に出来た天然ダムが決壊して発生するものです。いずれも、土石流が発生してしまえば、泥水に土砂の混ざった流体が沢を人間が走る速さの数倍の速さで流れ下るので、発生する前に逃げるのが原則です。
 土石流の中には、2m、3mもある巨礫が混じることは当たり前で、最近では、多くの流木含むことが多くなってきました。山が荒れているからです。しかも、これらの巨礫や流木は土石流の一番前に集まるので、その破壊力は大変なものになります。
 自分の家が、沢の出口近くの方は一度沢の中に入って沢が荒れていないか確かめてください。早めの避難が大切です。

2011年9月26日月曜日

落石とは

 落石は、斜面や崖に残っている転石や浮石が何かのはずみで落ちる現象で、素人でも理解しやすい。転石は斜面に転がっている不安定な大きな石をいい、浮石は崖の岩盤であるが、岩盤にかろうじてくっついている剥がれそうな石を言うことが多い。どちらも落ちれば落石に変わりはない。専門家が分けるには理由があって、落ちる原因や対策の仕方が変わるからである。御容赦願いたい。
 石が落ちるきっかけは、大体理解してもらえるとは思う。地震・豪雨などの自然現象が第1である。第二に崖での工事などを考えてよい。山地では大きな動物が石を落とすことがあるが、そう多くはないだろう。
 対応策は、崖に近づかないことである。どうしても近づく必要があれば、崖をよく観察して、危なそうな転石や浮石がどこにあるか知っておくこと。本当に、危ないと思ったら、崖の不安定な転石や浮石を直接取り除くか、ネットやボルト、コンクリートで固定するのがよい。それが出来なければ、多少落ちてきてもが崖下でキャッチするようなネットやコンクリートの壁を作ることである。
 後になるほど、言うは簡単だが、時間とお金がかかる。ちなみに、落石の予測は難しく、崩壊より予兆現象が少ないので要注意です。能登半島沖地震では直径5mもする落石がありました。崖で小石が落ちるとか、土砂がぱらぱら落ちるとか、木が傾くとか、水の出方が変ってきたとか、崩壊の予兆現象とよく似たことが起こるときもあるので注意していてください。

2011年9月24日土曜日

土柱の上のカモシカの親子

 これも、富山の話である。深山に入ると草も生えない崖に出る。やせ尾根のとんがった崖の上にカモシカの親子が見える。傾斜は80度はあるだろう崖の上である。よく登ったものだ。感心しているとじっとこちらを見て様子を伺っている。
 昔、南アルプスを調査したとき、尾根を登っているとき、50mくらい先を等距離で様子を見ながら付かず離れずでカモシカが移動していたことがある。また、身延山の近くで、上にいたカモシカが足で岩を落としてきたことも思い出した。間一髪飛びのき、難を逃れたが、なかなかのものである。東北青森の海岸線近くでは、標高が低いのにカモシカに出会ったことがある。なぜこんな低いところにいるのか、違和感があった。カモシカにはよく会うが、なかなか好きになれない。

2011年9月23日金曜日

火砕流堆積物の裂け目でのクマとの出会い

 これも富山県の話である。相手は、ツキノワグマ。これは手ごわい。
県内には、火山の堆積物がある。特に、火砕流堆積物は高温で流れ下って来て、冷えて固まる。この固まる時に、堆積が減少して大きな割れ目が出来ることがある。この火砕流堆積物を調査するため、ハンマーでたたきながら崖を下っていった。かなり、崖を下ったとき、なんともいえない特有な獣の臭いがした。まさに、崖に開いた大きな裂け目からである。不思議に思っていると、その裂け目から大きなクマが飛び出してきた。時期は晩秋で、クマは冬眠の準備中だったみたい。
 びっくり仰天、私は崖の草に摑まりながら西側の崖沿いに飛び出した。クマはというと反対の東側の崖に沿って走っている。20mほど走ったが、崖の上であり、不安定このうえないが、必死である。はっと我に返ると、目の前は、草も木もない1枚岩の切り立った崖が出現した。比高差100m以上もある地域で有名な崖である。
 クマのいる後ろに戻るか、崖を上に上がるか、降りるかの選択だ。崖を下ることは出来ない。かといって、クマのいる元来た通路を戻るのも怖い。瞬時に崖を登ることにした。何とか足場は確保できそうだ。黙々と登る、3点確保。でも早く登りたい。いつクマが心変わりするかも知れない。ドラマの女性のように。
 長く感じたが、崖の上に上り詰めたとき、やれやれと座り込む。目の前にカモシカがいた。いつもは怯むが、この時ばかりは、そこを退けとばかりにカモシカを追いやる。カモシカの臭いはクマほどではない。臭いが違う。クマの臭いは、もう忘れられない。今度出会うときには、事前にわかると思う。自分も野生になったのか。時に人間も野生に帰ることも重要かも知れない。

2011年9月22日木曜日

ボスザルとの和解

 今回は、深山で野生サルと出会った話である。富山県の山深くには野生のサルが多い。道路が山の深くまで入っているものがあり、その道路沿いで出会ったサルは、人に会うとやや控え目に逃げる。
 道路からおりて、山の中に歩いて入っていくと様相は一変する。たまたま夕暮れに近くなったが、まだ、山の中を歩いていたとき、山の木々が急に揺れだした。何だと思って回りを見渡すと、どうやら野生ザルの群れのちょうど真ん中にいるらしい。地質調査に集中していたので、不意を付かれた格好である。しかも、そこが群れのねぐらで、今日はここで眠るらしい。どうしたものかと考えていると、ボスザルとおぼしき屈強なサルが木からざーと下りてきた。おおと思って対峙すると、ぎゃぎゃとかなりの勢いて威嚇する。
 これは困った。もう少し先に目指す地質の露頭がある。調べたい。しかし、ここは、群れのねぐらである。ボスと話し合いをすることにした。ここを通してくれないか。しかし、ぎゃぎゃとダメだといっているようである。仕様がないので、今日のところはボスをたてよう、このまま帰るが、明日は来るからなと、ハンマー(地質屋の心)を前に出し、わかったかーと怒鳴り返して、和解した。
 いってみれば、体のよい撤退であるが、致し方ない。野生ザルの地元では、彼らも強い。

2011年9月21日水曜日

サルとダイコン

 地質調査をしていると野生動物にあうことが多い。少し、山の中でであった野生動物の話をしたい。まずは、サルとダイコンである。夕暮れ時、山からおりて来たとある田舎の集落で小道を子供がダイコンを抱えて横断しているように見えた。それにしてはダイコンの持ち方が引きずるようで、ぎこちないので近寄ってみる。なんと野生のサルがダイコンを持って山に帰るところであった。
 どうしてよいのかわからず、とりあえず、「こら」といって追いかけたが、足早に逃げられた。すぐ近くに民家があり、ダイコン畑の主とおぼしきあばさんに告げたところ、いつものことでしょうがない。年寄り1では集団で来る野生のサルは怖くて勝てないとあきらめていた。
 そういえば、別の地方の山間集落でも、人家の近くの柿の木に野生ザルが集団で登って熟した柿を食べているのを見た。近づいて注意すると威嚇しながらしぶしぶ退散した。私は、これでも未だ若く?、サルを追いやる力をサルのほうでも認めた形である。最近、限界集落が増えてきている。限界集落は自然と人間の住む場の最前線なので、いろいろな意味で体力がいる。本当は高齢の方ではなく、若者が住むべきところのような気がしてならない。

2011年9月20日火曜日

崖崩れとは

 崖崩れは専門的には斜面崩壊と呼ばれていて、表層崩壊と大規模崩壊(最近、深層崩壊とも呼ばれるようになった)にその規模で分けている。その発生の割合は、圧倒的に表層崩壊が多く、深さは1~2mくらいで、幅は510m程度、長さも520m程度と集中豪雨や地震で発生する。急な斜面ではどこでも発生する可能性はあるが、雨では、水の集まりやすい凹状斜面が危険で、地震では逆に地震力が集中する凸状斜面が危険である。地質によっても発生しやすいものがあり、固結度の低い砂層や砂状の地盤になりやすい花崗岩や粘土化しやすい泥岩の分布箇所に多い。対策は比較的容易で、斜面内の水を抜いたり、よう壁や法面工などで力で抑えことが可能で、場合によっては、植生を生かした保護工なども利用できる。
 それに対して、深層崩壊は深さが10m以上で、場合によっては50mや100mに及ぶものもある。移動する土砂量も1万m3を越えるものを言う。起これば、被害は甚大であるが、発生頻度は少ない。深いすべりであるので、地すべりと同じく、当然地下の地質や地質構造が問題となり、起こる場所の特徴もある。日本では、火山地域や付加体と呼ばれる岩盤がもまれたところに多い。発生の誘因は長雨や大きな地震・火山噴火などである。
 ただ、地すべりのところでも述べたように、初生的のものが多く危険な地域を広域に示すことは出来ても、今のところどの斜面で起こるか限定することがむつかしい。しかも、一旦崩壊すると、土量が多いので被害が甚大でるうえ、土砂ダム(今までは天然ダムといっていたが中越地震災害を契機に呼び方を変えてきている)ができて、その決壊による大規模土石流の発生など複合的な災害をもたらすので、厄介である。対策も避難などのソフト対策が中心となり、ハード対策は規模にもよるが経済的に考えて妙案は少ないのが現状である。
 都市部でもっぱら問題となるのは、崖の表層崩壊やそれに伴う落石である。規模は小さいが、人家が崖に接近してしているので、非常に危ない。私の住んでいる横浜市内にも危険な崖は残っており、テレビ番組で話したようにしばしば問題となる。都市は自然災害に対して一見、安全なように思われるが、まだまだ、隠れた危険があることを認識して欲しい。地すべりのところで言い忘れたが、都市の中に隠れた谷埋め盛土も地震のとき滑り出す危険があり、要注意である。
 次回は、斜面災害として残った落石や土石流について述べるつもりである。

2011年9月19日月曜日

地すべり調査

世界中に地すべりはあるが、日本には地すべりが多い。どうしてかと言うと前回話たように日本の地質は複雑で断層などの弱層が多い。地形も急峻で雨や地震・火山噴火が多いからである。では、地すべりってなに。
 日本では、地盤がゆっくりと繰り返して動く現象に限定しているが、海外ではランドスライドと呼び、日本で定義している地すべりの他に崖崩れ(崩壊)や落石、土石流なども含んでいる。海外の会議ではややこしいがどうしようもない。
 では、地すべりはどうして起こるのか。原因を専門の技術士は、素因と誘因に分けて考えている。素因は、地形や地質・地質構造などのもともと地盤にある要素で、水の集まりやすい地形とか、断層・温泉粘土などすべりやすい地質があるとか、流れ盤やオープンクラックなどの地質構造であるとかだ。これらのことは、むつかしいので専門の技術士が調べる。誘因は、皆さんのよく知っている豪雨や地震・火山噴火などで、素因のある地盤を動かす推進力だ。この2つが重なると地すべりが動くことになる。雨や地震で地すべりが動くのはこのためである。ですが、動くには素因があるのです。これを事前に知っておくと、地すべり災害の長期的な予測が出来る。ハザードマップも作れる。国の防災科研では、全国の地すべり地形マップをHPで公開してるの参考になる。県では、実際、法律に基づき地すべりの危険のある箇所を地すべり防止地域に指定して対策工をおこなっている。
 さて、日本の地すべりをタイプで分けるとどうなるか、古くは小出先生が、地質によって破砕帯地すべり、第三紀層地すべり、温泉地すべりの3つに分けている。地すべりは、繰り返し起こるので、その発展過程により分類することも行われている。要は、始めは固い岩盤が、地すべりを繰り返すことにより柔かく土砂のようになっていく過程を分類するのである。では、なぜ地すべりが始まるのか。この問題は初生地すべり問題として研究が行われており、かなりわかってきているが、残された問題も多い。
 この最前線の問題は、私も係わっているので、いずれ書きたいと思う。
 それでは、地すべりと崩壊の区別はどうなのという疑問が浮かぶでしょう。浮かば無い人は、あまり技術的な関心がないですよ。読み飛ばし期間ですね。実は、定義はいろいろと作っている。地すべりはゆっくり、繰り返し現象で、崩壊は急で、一過性現象とか。ですが、実際の自然現象はどうしても漸移的で境界部分ははっきりしません。ですので、国際的にはランドスライドと一括しているのだと思う。我が国では、どうしても専門家がムラを作りやすく、その中で「学問」だけど「道」(たとえば、華道や柔道など)に入っていく傾向があるようです。ちなみに地すべり学会があるのは世界中で日本とネパールだけで、ネパールの地すべり学会設立には日本の技術者が多く係わっている。ある意味、日本は地すべりの先進国というわけである。それはさておき、次回は深層崩壊などで注目を浴びている崖崩れについて話をしましょう。

2011年9月18日日曜日

ダムの地質調査

これからしばらくの間、技術的な話をします。出来るだけやさしい言葉で書きますが、退屈な方は読み飛ばしてしてください。
 最近、要不要の論議のあるダム。ダムの地質調査は、当時(20から30年前)全盛で、地質調査の花形であった。現在、コンクリートから人へという考え方もあるが、ダムは、すべてコンクリートで出来ているわけではなく、土のダム、石のダムなどもある。どのダムも大きな躯体の強度を保証するだけでなく、作るには、コンクリートの知識、石や岩の知識、土の知識が必要です。しかも、水を溜めるので水理の知識が重要です。また、付帯的に道路やトンネル・橋を作るのでこれらの技術も知っていないといけない。道路を切り開く時や水を溜めたときには、地すべりが起こることもある。地形や地質をよく知ってこれらの不安要因を事前に取り除いていかないといけないので大変だ。
 最近では、建設時あるいはその後の周辺の自然環境や社会環境への影響も事前に予測して対処することも強く求められる。動物への影響、植物への影響、気候への影響、もちろん人への影響もある。多くの方が移転を余儀なくされるときには、十分な計画が必要になる。ダム湖が出来てからは、その水質の維持や水温の変化をみたり、堆砂する土砂をどのように軽減するかも悩ましい問題である。
 先ほど、ダムの地質調査は、調査の花形であるといいましたが、それは、まさにこれらの総合的な問題をダム通じて解決することを求められるからである。ダムの要・不要の問題はさておき、日本の地質は複雑で断層などの弱層が多い。地形も急峻で雨や地震・火山噴火が多い。このような自然条件の中でいかに安全なダムを経済的にも環境的にも有効に作っていくかを技術士は問われ続けている。
 このような総合的な技術は、ダムだけでなくいろいろな地盤技術に適用できるので、今後もダムを経験した技術士の活躍の場は多いと思っている。

2011年9月14日水曜日

 最近、雨の降り方が偏ってきたといわれている。いわゆるゲリラ豪雨もその1つだ。台風12号でも記録的な雨が降って近畿・四国・中国地方で大きな災害となっている。特に、長期間雨が降ると最近注目されている深層崩壊がおこる。深層崩壊は地震でもおこるが、長雨も警戒しないといけない。それに対して、表層崩壊は短期間の集中豪雨でよく起こる。
 雨による災害を思うと、心が痛む。その反面、渇水の被害も深刻である。平成6年など多くの被害が出た。恵みの雨も必要である。最近の雨の降り方が両極端によく振れるようになったように感じられて仕方がない。ほどほどに降るか、降った雨をうまく貯める良い方法がないものか、地下ダムの研究もしたが、なかなか難しかった。
 自然とうまく付き合う方法をいつも考えている。

2011年9月12日月曜日

なんで海に潜ったか

山へ行くのは好きだったが、何で海に潜るようになったか。会社に入ってから本州四国連絡橋の仕事もやるようになった。我が国でも始めても長大橋の連続で大水深での工事も多い。海で囲まれた四国を本州とつなぐ始めての橋である。地質調査でも未知のことが多く、新しい測定機器の開発や測定・調査方法を模索しながらの毎日である。苦しいけれど得ることも多い。特に、海底にある橋の基礎となる岩盤をどのように評価するかも問題となった。地上の大きな構造物の基礎岩盤は、掘削してその岩盤を目で見て、ハンマーでたたいて評価する。
本州四国連絡橋でもそのようにしようと言うことなったが、何せ、橋の基礎は海の底である。水深30m50mのところもある。これは大変だ。という訳で、潜水士の免許を取って海の底にもぐことになってしまった。もぐりの人生である。瀬戸内海では、水深10mを越えると真っ暗になる。大きなライトを沈めてもらう。海底ではマリーンスノーという微生物の死骸が降ってくる。幻想的だ。でもぐずぐずしていられない。橋の架かるところは大体、瀬になっていて潮の流れが速い。潮どまりを狙っての潜水である。あっという間に時間がすぎる。時には、背中のボンベの空気が水中でなくなり、緊急のコックを引いて難のしのいだこともある。さすがに、このときは女房の顔が目に浮かんで、水面へ這い出せた。
 最近では、大河川の堰の洗掘や海の防波堤基礎の確認などで海に潜っている。歳のせいもあってきつい仕事だが、透明感のある一人の世界に入れて結構楽しんでいる。技術士として、水中地質調査の仕方についてまとめてみたい気もある。

2011年9月10日土曜日

会社に入っての地質調査

 女房との結婚で、研究者を辞めて赴任地岡山の会社に入る。この時、タバコをやめてドクターを辞め決心をした。地質調査をする会社で、とんでもないほど忙しかった。徹夜、夜2時3時帰宅は当たり前、夜中心配した女房から電話が掛かってくる。1年273日出張の年もあった。でも残業はいっさいつけなかった
 業務は、公共事業中心の手堅い仕事が中心である。世の中、ちょうど高度成長期で、忙しいが、多くの優秀な仲間や上司と出会えて楽しかった。始めのうちはボーリング屋さんと呼ばれながら、長大橋、ダム、地すべり、トンネル、水資源開発、建物の基礎など何から何までやった。地表踏査・水文調査・物理探査・検層・原位置試験・ボーリング・サウンデイング・室内試験・地すべり解析・斜面対策工の設計など土木地質や防災地質・環境地質に係わるハードソフトの業務のほとんどを経験した。
 泥臭い仕事が多く、自分は鈍行列車で走っているが、大学院を一緒に出て他の分野に進んだ同期は、華麗な新幹線で走っているように見えてへこむ事もあったが、何事も、経験である。この経験が、後の技術士の業務をする中で大きな力になっている。

2011年9月8日木曜日

研究者としての地質

大学を卒業し、そのまま研究者として大学院にいくことにした。単車での地質調査をしながら火打ち石に使われる火花のでるチャートの成因を探ることにした。チャートが生物起源の石か、無機的沈殿物かの論争があった。チャートの中から、放散虫や珪藻という水中の住む微化石を抽出し、生物起源とした。さらに、時代によって放散虫や珪藻の変化が見つかり地層を分けることも出来るようになった。ただ、チャートの堆積環境や層状構造がどのようにしてできるのかわからなかった。現在も層状構造の起源はわかっていないようである。
自然の中にはわからないことがまだまだ多い。わかってもわかっても自然科学の研究に終わりはない。
2年間の研究期間であったが、立派な多くの研究者との出会いで、いろいろな刺激を受けた。今でも付き合いがある方も多く、お互いに刺激しあったり、教えを受けることも多い。地質学をベースとした技術士の活動を行う上で頼もしい助言者になってくださっている。

2011年9月5日月曜日

地質学との出会い

 自然が好きで地図好きで、大学でを学んだ。自然の中を歩けば歩くほど自分で地面の図が書ける地面の図とは地質図のことで、色とりどりのきれいなマップとなる自然の岩石は、大変きれいでいろいろな色や形があって飽きることがない。川原の石も見ていても楽しいが、地面にくっついている露頭・露岩といわれる地質を見るとその岩石の続きが地下深部へと続き地面の下の地下構造が見てくる。なんと素敵なことだろう。自分の予想した地下構造が正しければ言うことはない。
 大学院に入って地質の研究をすることを決めた。大学では、地質学だけでなく素敵な女性と出会うことができた。女房との出会い。これから長い生活が予想される。地面から地下の地質を予想するのは難しい。

2011年9月3日土曜日

地図

小さいときから地図が好きで、雨の日などは地図を眺めて1日飽きなかった。まだ見ぬ遠くの世界が見えてきて、夢の世界に入っていける。地図を見て、どうしてここに山脈が出来たのか、海があるのか、湖があるのか、半島や島があるのか不思議なことがあるが、地形図を読込むとその理由がわかることがある。なかなかである。首都や町の位置どりは、人がどのようなところに集まりやすいか見えてくるし、道路や鉄道のルート取りは計画した技術者の力量や苦労がわかる。低地のぬかるみを回避したり、地質の悪い断層や地すべりをうまく避けているのを見ると気持ちが良い。
国境の位置も興味深い。国や国民・民族の駆け引きが見えてくる。古都、遺跡や城跡、戦場跡を記した歴史地図は、当時の生活や戦の様子を彷彿させる。見ていて楽しみは尽きない。
 地質学を始めて、何が楽しいかというと自然を歩くのだけでなく、自分でオリジナルの地質図が描けることである。書いた地質図が、正しいかどうかは、地形に合った地層の分布か、地層の成り立ちや地質構造が素直に読めるかにかかっている。無理があると、後で間違っていたことがわかることが多い。
 数年前に全国の都道府県で、調査していないところはなくなった。地質図を作った場所は、何か我が家のような親しみがあり、その土地を理解したような気がする。
 土地を理解すると、美しい自然環境はどこにあり、自然災害がどこで起きそうかも見えてくる。皆さんももっと地図を読んで欲しい。

2011年9月1日木曜日

イボ取地蔵

田舎には、近くにイボ取地蔵があった。川原の近くの小さな祠である。小さいとき、手に小さなイボが出来た。川原でいろいろと好みの石を探し、石を一度イボ取地蔵にお供えする。それを持って帰り、毎日、この石でイボをこすっていると、いつしかイボはぽろっと取れた。この大切な石をイボ取地蔵にお礼にもっていく。そこには、いくつかの石が供えてあった。それから、川原できれいな石を見つけるのが好きになった。それだけで済まないで、近くの山に入っては水晶などの面白い鉱物も集めた。
大学にはいって、地質学を専攻し、化石・岩石や鉱物を研究することになったが、きっかけは、イボ取地蔵にさかのぼるのかもしれない。小さなイボを取ってくれたい石は、記憶をたどると花崗岩のように思う。ざらさらした石でイボを取るのに最適である。小さいときから技術士の素質があったのだろうか。